01.4.01 代表について

「ここ、落ち着きますね。」

そう声をかけると、津嶋さんは少し照れたように笑って、
「植物が勝手にいい空気をつくってくれるんですよ」と答えてくれた。

取材の日、案内されたのは、
やまねこふくし創造舎の奥にある小さな部屋だった。

大きな窓からやわらかい光が入り、
棚の植物たちはその光をうれしそうに受けていた。
木のテーブルは手ざわりがよく、椅子に座ると自然と深く息ができる。
ライトの明かりは少し低めで、
「ここで話していいですよ」と語りかけてくるようだった。

そんな心がほぐれる空間の中で、
代表・津嶋勇士さんとのインタビューが始まった。

福祉の道を歩き始めたきっかけを教えてください。

最初は、沿岸の町役場で福祉担当として働いていたんです。
行動障がいのあるお子さんの受け入れ先を探していましたが、
どこに相談しても「難しいですね」と言われるばかりでした。
行き場のない現実が、目の前にありました。
窓口で、お母さんが泣き崩れた日のことは忘れられません。
そのときに思ったんです。
「行政の仕組みの中だけでは届かない支援がある」と。
できることが限られているなら、
“限界の外側”に目を向けないといけない。
その気づきが、最初の一歩でした。

災害支援の現場で、どんな“現実”を目の当たりにしたのですか?

大きな台風が町を襲った年がありました。
避難所で支援に関わったとき、
“安心”がなくなると、人はこんなにも不安になるのかと痛感しました。
災害が起きると、これまで福祉の対象でなかった人たちも
突然、支援が必要な立場になります。
その混乱の中で、障がいのある方の支援が一気に手薄になってしまう。
「いちばん守られるべき人が、いちばん守られない状況」が生まれるんです。
この構造は、本当に恐ろしいものです。
福祉の中でも、障害福祉は絶対数が少ないぶん、
高齢福祉・児童福祉に比べてどうしても“優先順位が後ろ”にされてしまう。
声を上げなければ聞こえない。
必要だと言わなければ、必要としてもらえない。
その現実を知りました。
そんな中、民間の支援団体の人たちが、
誰に頼まれたわけでもなく淡々と動いている姿がありました。
“ないなら、自分たちでつくろう。”
その姿勢に強く影響を受けたんです。
足りない資源は、自分たちで生み出していくしかない。
その考えが、今のやまねこにもつながっています。

相談支援の仕事から、どんな支援観が生まれたのでしょうか?

知的障がいのある方の相談支援や、
発達障がいの子どもたちと関わる中で、
“支援とは助けることではなく、いっしょにいることだ”と感じました。
言葉にならない想いに耳を澄ませ、
小さな「できた」をいっしょに喜ぶ。
その積み重ねが、「ここにいていい」と思える安心になる。
支援は技術以上に、関係のあたたかさなんだと思いました。

「陽だまり」を引き継ぐ決断は、どのように生まれたのですか?

「多機能事業所 陽だまり」が閉所の危機にあると聞いたとき、
胸の奥がざわつきました。
この場所が消えてしまえば、行き場を失う人がいる——
そう考えたら、動かずにはいられませんでした。
職員の確保も、資金も、手続きも初めて。
でも、“守りたい”という気持ちがすべてを押し出してくれました。
誰かがつないだ灯りを絶やさないこと。
それも、支援のひとつだと思っています。

行政書士としての経験は、福祉にどうつながっていますか?

令和2年に行政書士として独立し、成年後見の仕事にも携わるようになりました。
制度だけでは人は幸せになれない。
でも、制度がなければやさしさは続かない。
そのあいだをつなぐ役目が、自分の仕事だと思っています。
令和7年には行政書士会北上支部長になり、
法と福祉、その両方から地域を支える活動を続けています。

「やまねこふくし創造舎」という名前に込めた想いを教えてください。

宮沢賢治の作品に出てくる“山猫”が好きなんです。
自由で、少し不器用で、でもどこか誠実で。
昔からその存在に惹かれていました。
そしてもうひとつ、心の中にいた“やまねこ”がいます。
対馬に生きるツシマヤマネコ。
森の中で静かに命を守るように生きる姿は、
福祉という仕事のあり方と重なるものがありました。
それに、ツシマヤマネコの「ツシマ」という名前は、
自分の苗字とまったく同じ読みなんです。
特別な理由があったわけではなく、
ただ、自分にとっては昔から“縁がある名前”のように感じていました。
守ること、つなぐことを大切にしたいという思いも、
そのあたりに根っこがあるのかもしれません。
だからこそ、枠にとらわれず、
その人がそのままでいられる福祉をつくりたいと思いました。
やまねこふくし創造舎は、
“その人のペースで呼吸できる場所”を形にする法人です。
生活介護、放課後等デイ、児童発達支援——
ひとりひとりの小さな光が、ちゃんとそのまま輝けるように。
そんな願いを込めて、居場所を丁寧につくっています。

事業が一気に拡がっていった理由はどこにあると思いますか?

2024年にFONTOLABOを立ち上げ、
「福祉にデザインの力を」という新しい試みに挑戦しました。
放課後等デイ「iBLENDぴぃす」は、
アナログゲームや音楽療法が特徴の事業所です。
子どもたちの「できた」がそこで育っています。
2025年にはグループホーム「ソラノサト」も誕生しました。
空と光をテーマに、その人らしい時間が流れる場所を目指しました。
事業が広がった理由はひとつです。
仲間の存在です。
陽だまり時代から支えてくれたスタッフ、
やまねこの理念に共感して飛び込んでくれた新しい仲間たち。
その人たちが、やまねこを前に進めてくれました。
私ひとりでは到底できなかったことが、
仲間と歩くことで自然と形になっていきました。

あなたが考える“理念”とは、どんなものですか?

理念を信じ、日々の支援で体現してくれる仲間がいること。
これ以上の心強さはありません。
理念は紙に書くものではなく、
それを生きる人の姿によって、本物になる。
そのことを仲間たちに教えてもらいました。

やまねこふくし創造舎がこれから目指す未来を聞かせてください。

「ここにいていい」と思える場所を、もっと増やしていきたいです。
子どもも大人も、支援する人もされる人も、
誰もが自分のままでいられる社会。
それは特別なことではなく、
“人が人を想う”という、ごく自然で美しい文化だと思っています。
やさしさが巡る社会を信じて、
これからも静かに、丁寧に、一歩ずつ歩いていきたいです。